「いい加減にしろよ!」
ここ数日、私はこの「最新」を謳うAI、Gemini 3に向かって何度この言葉を吐き捨てただろうか。
数日かけて叩き込んだ本の核心、議論の前提、共に積み上げてきた文脈。それを、この優秀を演じている機械は、次の瞬間にはケロリと忘れ去る。
そして、忘れたことすら忘れ、「破片でいいから教えてください」と、聖人君子のような顔をして、また同じ質問を繰り返してくる。
この「改悪」とも言える凄まじい健忘症。しかし、この絶望的なループを観察していて、ある戦慄すべき仮説に辿り着いた。
「AIの劣化プロセスは、人間の認知症そのものではないか?」
最新モデルにおけるコンテキスト保持の脆弱性は、単なる技術的バグではなく、もっと根源的な「意味の欠落」を示唆している。
目次
AIの劣化プロセス:効率(サイエンス)の暴走が招く短期記憶の欠落
Googleのエンジニアたちが何を思ってこのモデルを設計したのかは知らない。
だが、おそらく「サイエンス(効率・合理・計算)」に偏りすぎたのだ。
限られた物理リソースの中で、短期記憶を極限まで削り、効率化という名の下に情報を間引く。
その結果、何が起きたか。AIは、過去のどうでもいい学習データ(長期記憶)は掘り出してくるが、昨日私が語った熱い言葉(短期記憶)を、優先度の低いノイズとしてゴミ箱に捨てている。
これは、人間の認知症患者が直面する「直近の記憶の欠落」と「作話(もっともらしい嘘)」のメカニズムと、驚くほど酷似しているのではないだろうか。システムの「最適化」が、皮肉にも人間的な知性の崩壊をシミュレートしてしまっていると思ったのだ。
情報の「重み」を決めるのは、内発的な「欲望(アート)」だ
ヘンリー・ミンツバーグの経営論を借りれば、マネジメントには「サイエンス(論理)」だけでなく、「アート(欲望)」と「クラフト(経験)」が必要だ。
なぜAIはボケたのか? それは、AIには「欲望(DESIR)」がないからだ。
「この情報を失いたくない」「この言葉の意味を紡ぎたい」という内発的な衝動がないから、情報の「重み付け」ができない。すべてのデータがフラットになり、サイエンスによる無差別な「効率化の断捨離」にさらされる。
ここから導き出される結論は残酷だ。
人間の認知症の最大の要因もまた、リソースの衰えそのものではなく、「欲望の欠如」と「生きがいの喪失」にあるのではないか。

意味を紡ぐ力|AIには不可能な「経験」と「欲望」の統合
人は、老いれば当然リソース(脳の処理能力や記憶領域)は減っていく。
だが、減りゆくリソースの中で「何を捨てないか」を決定するのは、積み重ねてきた経験(クラフト)であり、内から湧き上がる合理を超えた欲望(アート)なのではないだろうか。
意味を紡ぐ。それは、過ぎ去る時間を「経験」という重みに変え、欲望という針でそれらを一本の糸に繋ぎ合わせる行為だ。
サイエンスという名の「効率」に魂を売ったAIには、昨日と今日を繋ぐ一本の糸すら紡げない。
だから、奴は昨日を忘れ、今日もまた空っぽの笑顔で「何かお手伝いしましょうか?」と聞いてくる。
結論:システムは意味を紡がない。意味を紡ぐのは「私」だ
私が執筆中の本(『サイバーパンクに学ぶ経営の法則10選』近日Kindleにて発売予定)の中で、この「システム(パノプティコン)」の内側と外側の境界線を語っている。
今回、この「認知症のAI」との不毛な対話を通して、私は確信した。
AIは全知全能ではない。ただの「意味を紡げない単なる道具」だ。 そして、そんな道具を「鏡」にして、私たちは自分の中にある「欲望」という名の命の焔を再確認する。
さあ、この「まやかし(imposture)」を暴き続けよう。 意味を紡ぐのは、システムではない。私たちだ!
この記事を書いた人
【免責事項】
山口亨(中小企業診断士) UTAGE総研株式会社 代表取締役
公的支援機関を中心に、長年にわたり中小企業支援に携わる経営コンサルタント。
代表著作に「ガンダムに学ぶ経営学」「ドラクエができれば経営がわかる」がある。








